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さぁ、いよいよヒマラヤトレッキングだ。まず休める日数を見極める必要がある。それから、カトマンズとバンコクで、
買い漁った本と地図を頼りにルートの研究・・・・・だ。しばらく前から、そのつもりで社内の、根回しをしてきたお陰で
日本で山歩きの経験が豊富な、Kuさんが同行してくれることになり、土曜日から9日間連続の休暇が確実となってきた。
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2月3日いよいよ出発。私達は、通訳と共に車で ドゥウンチェに向かう。ガイドやコック・ポーター 達5名は食料やテントなど装備を持って、バスでド ゥウンチェに向かっているという。私たちは車とは いえ、舗装もしていない凸凹道のドライブは、決し て楽ではない。休み休みしながら、夕方どうにかド ゥウンチェに辿り着いた。ここでも到着したら、ま ず警察へ寄ってランタン国立公園への許可証の申請 だ。赤いPermitがそれ。だが印刷された入園料が、 手書きで2倍以上に訂正されている・・??。 途中の写真は、 こちら からどうぞ。 |
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当日のキャンプは、集落はずれの広場・・早々とテン トの準備もできた。周りには雪を戴いた峰が見える。無 名峰と言う。ここからは、ランタンリルンもガネシュヒ マ−ルも見えない。何処まで行けば見えてくるのか。 明日からのトレックに期待して、胸が高鳴る。 翌日いよいよトレック開始。朝食を終え、テントを撤収 し荷造りをして、さぁ出発。集落の中をしばらく下って 広い道に出て、歩きはじめる。 そのときの様子は、 こちら からどうぞ。 |
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集落の中の下りは、結構、急であるが、すぐになだら かな下りの広い道に出た。左手の山の斜面の下に向かっ ては段々畑が広がっている。広がっている・・・という よりは、積み重なってここまであがって来ていると言う ほうが適切だ。私達一行8名のうち、ネパール人6名、 ガイドはシェルパ族、通訳は日本語が堪能だった。 先頭はコックとキッチンボ−イ、少し離れてポ−タ−2 人・・親子だと言う。この2人のボ−タ−の荷物が一番 大きい、装備や食料である。下が小さくなった逆三角の 竹で編んだかごに荷物が詰め込んである。後ろを歩く通 訳とガイドは何の荷物もない。ガイドのラクパさんは、 3日間私のカメラケ−スを担いでくれた。 緩やかな下り を歩くうちに、 |
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地図にも載っている小さな橋を渡って、向きを北西に 変えてしばらく進むと、それまでとはまた違った風景が 目に飛び込んできた。さっき出発したばかりのドゥウン チェの集落が、目の前だ。トリスリ川に注ぐ支流を挟ん で、北側の尾根中腹から見た、 ドゥウンチェの四態 です。 歩を進めながら、場所によって見え方が微妙に変化して いるのが、良く判ります。右手の谷底がトリスリ川・・ ドゥウンチェから徒歩で2日降ると、トリスリバザ−ル の街(?)です。 |
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私達が歩いている、この道は下っているとは言っても 奥地へ向かっている。このまま進むとランタン谷トレッ クの基点シアブルベンシに到達する。広くて平坦な道に 少々物足りなさを感じようかと言う頃、バルグの集落に 差し掛かった。集落を出ようかというところで、道の中 に10頭ほどの牛がたむろしている。先頭のコックとキ ッチンボ−イが右側の斜面に取り付いた。牛の群れをよ けたのかと思ったが、そうではなかった。感じ始めてい た物足りなさを打ち砕く、 急峻な登り が、ここから始まった のである。 それはまさに「急峻」としか言いようがない、厳しい登 りの連続であった。 |
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この日の昼食は、厳しい登りが続いた後の平坦な灌木 帯の中の一軒家の庭兼作業場らしき所を借りてとった。 トレック初日でもあり、朝弁当らしきものを用意してい た様子もなかったので、どうするのかと興味しんしんで あった。が、コックとキッチンボーイの2人が手際よく 湯を沸かし、お茶を入れ、食べ物を用意した。トレック 中この二人は常に先行して、私達が到着すると直ちにお 茶が出てきた。そして食事を済ませ、しばらく休んだ後 次の行動に移った。私はこの休憩中に山々の写真撮影に 専念した。 そこでの親子の様子は こちら です。 |
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1日目の宿泊地はシアブル、20軒ほどの家が集まっ た、ちょっとした集落の中の一軒 YETI HOTELの庭に テントを張った。コック達は建物の中で食事を準備し て、食べるのはテントの横の外だった。住人の1人が 興味深げな様子で、私達を覗き込んでいた。二日目の 朝起きると、洗面器に張った湯と口をすすぐ湯も用意 されていた。そして朝食には「きゅうりのQちゃん」 が出た。思わず笑ってしまったが、なかなかの気配り であり、二日目を歩く元気が出たのは勿論であった。 YETI HOTELでの様子は こちら |
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二日目の歩きは、なだらかな登りの連続である。 シアブルの2500mからシンゴンパの3500mまでひたす ら登りが続く。午後になって、道が霜柱でサクサクし始 めたと思ったら、すぐに雪道となった。案内本には雪の 記述は一切なかったので、少し驚くが、2月のこの標高 だ、雪があって当然だろう。 その雪道の写真は こちら この雪の中ポーター親子二人の履物は藁ぞうりだった。 |
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夕刻シンゴンパ到着。今夜の宿泊地だが私達はテント は張らない。寝るのは建物の中の1室、ベッドもある。 写真撮影のために裏手の丘に登ったが、息が切れて大変 だった。初めて高度を実感した。これまでには経験した ことのない高度3500mまで登って来たのだ。 ここまで来るとガネシュヒマール第5峰が印象的だ。 次の機会があれば、ぜひともあの裏側を見てみたい。 その雄姿は こちら |
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息が切れた裏の丘の写真がこれで、平地であれば何 てことも無い丘だが、ここでは違った。 この夜は2日ぶりに寝袋から解放されて、少しは快適 だった。 |
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今日はいよいよトレック最終日、あの強烈な下り坂を 降りるだけ...。出発後なだらかなくだりを進むこと 小一時間、急坂が始まる直前で小休止。その時の写真が これ。後ろはまったく見えていない。この小休止後、 2000mまで転がるように駆け下りた。坂の途中には昼 食のためにゆっくり座れるような場所は一切無かった。 ただただ急坂が続くのみ...。 |
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この日の昼の様子がこれ。厳しい下りを克服して、皆 ほっとしていた。後はドゥウンチェまで平坦な歩きが残 るだけ...。 その平坦な様子は、 こちら からどうぞ。 |
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最後にカトマンズでベースになったのは日本人経営の 「インターナショナルゲストハウス」。帰った時の数日 ぶりの熱いシャワーはありがたかった。 |