Himalaya Trekking

写真をクリックすると、拡大または別の写真を表示します。しないものもあります。


 さぁ、いよいよヒマラヤトレッキングだ。まず休める日数を見極める必要がある。それから、カトマンズとバンコクで、
買い漁った本と地図を頼りにルートの研究・・・・・だ。しばらく前から、そのつもりで社内の、根回しをしてきたお陰で
日本で山歩きの経験が豊富な、Kuさんが同行してくれることになり、土曜日から9日間連続の休暇が確実となってきた。

写真-1  私達の場合は日数の関係で、カトマンズから近いラン
タン地域ということになる。主峰ランタンリルン西側に
ガネシュヒマール、8000b峰こそないが、ゴサインカ
ンの4800bの高地にはヒンズー教の聖地もあり巡礼も
来るという地域。ここでさえ私達にとっては入国と出国
に2日、TrekkingPermitを取るのに1日、カトマンズ
から開始地点への移動に往復2日、そしてトレッキング
3日で計8日プラス予備1日で総計9日。次は何処を歩
くか自分で探して決めねばならない。買い求めた5冊の
本と格闘が始まった。左の3冊は写真とイラストが多く
右の2冊は字ばかり・・・悪戦苦闘して見つけたのがこ
のコース。本の写真をクリックすると地図がでます。
写真-2  標高2000bのドゥウンチェからシアブル、シンゴン
パを経てドゥウンチェにもどる・・というもの。本に
よれば、シンゴンパから緩やかな登りを歩いて、ロー
レビナ峠(4800b)まで行くのも悪くないが、往復4日
は余分にいる。残念ながら今回は無理だ。実をいうと
計画の最初の段階では、このコースを反時計回りにと
考えていた。ドゥウンチェ→シンゴンパは巡礼の道だ
シアブルに下らずに登り続けると、峠の手前に聖地が
ある。ところが、地図をひと目見たKuさんが、即座に
反対した。曰く、ドゥウンチェ→シンゴンパの登りは
きつ過ぎる・・・と。そうして時計回りに歩くことに
なるわけだが、後日、そのすごさを下りながら実感す
ることになる。
写真-3  そして、1992年2月1日、私とKuさんはカトマンズ
空港に降り立った。憧れのヒマラヤトレッキングを実
行するためにである。まず手始めがPermitの申請。空
港からジャイ・ヒマール社の事務所へ直行して必要書
類を渡す。FAX・TELEX・電話と使える手段のすべて
を利用して Notice しておいたお陰か、スムーズに事が
運んでいくようだ。ひとしきり、かけまくった電話も
一段落して、係りが私たちの方へ向いて口を開く。
「明日の午後Permitがおりて、3日午前9時ここから
出発。」と。「明日は日曜だけど、役所は大丈夫
・・・?」ってな心配は止そう。郷に入れば何とかだ。
その、日曜日の午後に出来てきたPermitがこれ。
2月3日から7日、ランタン地域をトレック、出発地ドゥ
ウンチェ帰着地ドゥウンチェと詳細に記入されている。
写真-4  2月3日いよいよ出発。私達は、通訳と共に車で
ドゥウンチェに向かう。ガイドやコック・ポーター
達5名は食料やテントなど装備を持って、バスでド
ゥウンチェに向かっているという。私たちは車とは
いえ、舗装もしていない凸凹道のドライブは、決し
て楽ではない。休み休みしながら、夕方どうにかド
ゥウンチェに辿り着いた。ここでも到着したら、ま
ず警察へ寄ってランタン国立公園への許可証の申請
だ。赤いPermitがそれ。だが印刷された入園料が、
手書きで2倍以上に訂正されている・・??。
途中の写真は、 

こちら  からどうぞ。

写真-5  当日のキャンプは、集落はずれの広場・・早々とテン
トの準備もできた。周りには雪を戴いた峰が見える。無
名峰と言う。ここからは、ランタンリルンもガネシュヒ
マ−ルも見えない。何処まで行けば見えてくるのか。
明日からのトレックに期待して、胸が高鳴る。
翌日いよいよトレック開始。朝食を終え、テントを撤収
し荷造りをして、さぁ出発。集落の中をしばらく下って
広い道に出て、歩きはじめる。

そのときの様子は、 こちら  からどうぞ。

写真-6  集落の中の下りは、結構、急であるが、すぐになだら
かな下りの広い道に出た。左手の山の斜面の下に向かっ
ては段々畑が広がっている。広がっている・・・という
よりは、積み重なってここまであがって来ていると言う
ほうが適切だ。私達一行8名のうち、ネパール人6名、
ガイドはシェルパ族、通訳は日本語が堪能だった。
先頭はコックとキッチンボ−イ、少し離れてポ−タ−2
人・・親子だと言う。この2人のボ−タ−の荷物が一番
大きい、装備や食料である。下が小さくなった逆三角の
竹で編んだかごに荷物が詰め込んである。後ろを歩く通
訳とガイドは何の荷物もない。ガイドのラクパさんは、
3日間私のカメラケ−スを担いでくれた。

緩やかな下り を歩くうちに、

写真-7  地図にも載っている小さな橋を渡って、向きを北西に
変えてしばらく進むと、それまでとはまた違った風景が
目に飛び込んできた。さっき出発したばかりのドゥウン
チェの集落が、目の前だ。トリスリ川に注ぐ支流を挟ん
で、北側の尾根中腹から見た、

ドゥウンチェの四態  です。

歩を進めながら、場所によって見え方が微妙に変化して
いるのが、良く判ります。右手の谷底がトリスリ川・・
ドゥウンチェから徒歩で2日降ると、トリスリバザ−ル
の街(?)です。
写真-8  私達が歩いている、この道は下っているとは言っても
奥地へ向かっている。このまま進むとランタン谷トレッ
クの基点シアブルベンシに到達する。広くて平坦な道に
少々物足りなさを感じようかと言う頃、バルグの集落に
差し掛かった。集落を出ようかというところで、道の中
に10頭ほどの牛がたむろしている。先頭のコックとキ
ッチンボ−イが右側の斜面に取り付いた。牛の群れをよ
けたのかと思ったが、そうではなかった。感じ始めてい
た物足りなさを打ち砕く、

急峻な登り   が、ここから始まった のである。

それはまさに「急峻」としか言いようがない、厳しい登
りの連続であった。
写真-9  この日の昼食は、厳しい登りが続いた後の平坦な灌木
帯の中の一軒家の庭兼作業場らしき所を借りてとった。
トレック初日でもあり、朝弁当らしきものを用意してい
た様子もなかったので、どうするのかと興味しんしんで
あった。が、コックとキッチンボーイの2人が手際よく
湯を沸かし、お茶を入れ、食べ物を用意した。トレック
中この二人は常に先行して、私達が到着すると直ちにお
茶が出てきた。そして食事を済ませ、しばらく休んだ後
次の行動に移った。私はこの休憩中に山々の写真撮影に
専念した。
そこでの親子の様子は

こちら   です。
写真-10   1日目の宿泊地はシアブル、20軒ほどの家が集まっ
た、ちょっとした集落の中の一軒 YETI HOTELの庭に
テントを張った。コック達は建物の中で食事を準備し
て、食べるのはテントの横の外だった。住人の1人が
興味深げな様子で、私達を覗き込んでいた。二日目の
朝起きると、洗面器に張った湯と口をすすぐ湯も用意
されていた。そして朝食には「きゅうりのQちゃん」
が出た。思わず笑ってしまったが、なかなかの気配り
であり、二日目を歩く元気が出たのは勿論であった。

YETI HOTELでの様子は

こちら
写真-11  二日目の歩きは、なだらかな登りの連続である。
シアブルの2500mからシンゴンパの3500mまでひたす
ら登りが続く。午後になって、道が霜柱でサクサクし始
めたと思ったら、すぐに雪道となった。案内本には雪の
記述は一切なかったので、少し驚くが、2月のこの標高
だ、雪があって当然だろう。

その雪道の写真は こちら

この雪の中ポーター親子二人の履物は藁ぞうりだった。
写真-12  夕刻シンゴンパ到着。今夜の宿泊地だが私達はテント
は張らない。寝るのは建物の中の1室、ベッドもある。
写真撮影のために裏手の丘に登ったが、息が切れて大変
だった。初めて高度を実感した。これまでには経験した
ことのない高度3500mまで登って来たのだ。
ここまで来るとガネシュヒマール第5峰が印象的だ。
次の機会があれば、ぜひともあの裏側を見てみたい。



その雄姿は こちら

写真-13  息が切れた裏の丘の写真がこれで、平地であれば何
てことも無い丘だが、ここでは違った。
この夜は2日ぶりに寝袋から解放されて、少しは快適
だった。
写真-14  今日はいよいよトレック最終日、あの強烈な下り坂を
降りるだけ...。出発後なだらかなくだりを進むこと
小一時間、急坂が始まる直前で小休止。その時の写真が
これ。後ろはまったく見えていない。この小休止後、
2000mまで転がるように駆け下りた。坂の途中には昼
食のためにゆっくり座れるような場所は一切無かった。
ただただ急坂が続くのみ...。

写真-15  この日の昼の様子がこれ。厳しい下りを克服して、皆
ほっとしていた。後はドゥウンチェまで平坦な歩きが残
るだけ...。

その平坦な様子は、 こちら  からどうぞ。

写真-15  最後にカトマンズでベースになったのは日本人経営の
「インターナショナルゲストハウス」。帰った時の数日
ぶりの熱いシャワーはありがたかった。

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