Mountain Flight
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1991年は、静かに年が明けた。神戸に戻って3回目の新年・・・仕事も順調、齢五十もこえた。もうこれで、何処へも動かず、平穏に暮らせると思っていた。ところが
3月になって、思わぬ人が思わぬ所から、とんでもない話を聞き込んできた。曰く「4月からバンコク駐在」である。この3月無事大学を終えた息子が、友達何人かと卒業
旅行とシンガポールへシャレこんだ。その息子がかの地の H 氏から囁かれたのだ。晴天の霹靂とは、まさにこれ・・・・・こうしてまたもや海外という羽目になり、折角
バンコクにいるんだから・・と、「カトマンズ通い」が始まることになる。 そして初めてのネパールで、見つけたのが、この「マウンテン フライト」だった。
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Mountain Flightとは、カトマンズからエベレストまでジェット機で飛んで、一万メートルの上空からヒマラヤ山系の景観を楽しもうというもの・・往復1時間の小さな旅である滞在するホテルを通して手配した。
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これがその時のBoarding Pass。ホテルに迎えに来た、添乗員らしき人物が、座席まで案内する。座席は1F・・・最前列の右端窓席だ。機はB727・・乗ってみると、左右の窓際に三列の座席、真ん中の列はなくコックピットのすぐ後ろから最後部まで、すべて Economyで仕切りがまったくない。観光専用の機体である座席につくと、添乗員が「ここは特等席だ」としきりに強調する。
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外国人によくある自己宣伝だ・・とフンフンと生返事でやり過ごす。エベレストへ向かう往航は、山は左で反対側だ。「なんで特等ナンダ?」と思っていると、添乗員の姿が見えなくなった。この頃になると、右席の人達三々五々、席を離れて左に移動して窓を覗き込んでいる。と、戻ってきた添乗員が「コックピットへ入れるぞ !」と得意顔。こうして私達3人だけが、Captainのすぐ後ろで操縦室の窓から、のうのうと見物してしまった。
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「なるほど、これが特等席か」と勝手に納得していたら、それだけではなかった。程なく、機は左に旋回して、西に向かう。すると、それまで結構距離のあった山系が、グッと目の前に迫ってきた。大迫力である今度は左の連中がワーッと歓声をあげながら、右側へ駆け寄ってくる。「寄るな、寄るな !」そんなに寄ると機が傾く。私の体は無意識のうちに、船の揺れに合わせるかのごとく左に傾く。
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大きなジェット機がこんなことで傾く訳もなく、傾いたとしても私一人で戻すことなど出来るはずもない「嗚呼、寂しきかな・・・船乗りの習性」イヤ、楽しきかな、か !!とにかく、復路は自分の席に座って眼下に広がる雪をいだいた神々しいまでの山々に圧倒され放しであった窓からの眺めは翼に遮られることもなく、この席は紛れもなく特等席であった。
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ホテルが予め手配していたのか、添乗員の才覚によるものかは判然としないが、素晴らしいまたとない眺めを満喫して、興奮冷めやらぬていで戻ってきた。そして、船に乗り出して以来永らく忘れていた「山へ登りたい・・」という気持ちに火がついてしまった。この次は必ず自分の足で歩きに来るぞ !!
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いったん火がつくともう止まらない。バンコク駐在の間に一度はヒマラヤトレッキングに挑戦すべしと心に決めてしまった。早速街を探訪してみると、あるわ、あるわ・・・・まず装備、これは登山を終わって帰国する際に処分された中古品がなんでもいくらでも無尽蔵と言っていいほどある。山の地図・・これも紙質は良くないが手に入る。そして、トレッキングを企画する会社もある。
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企画会社を3軒ほど訪ねて話しながら、ガイド・コック・ポーターを雇ってというスタイルが見えてきた問題は何日休めるかだ。それによって何日山へ入れるかがおのずと決まる。ここまでくると、夢でしかなかったヒマラヤトレッキングが急速に現実味を帯びてくる。バンコクに戻って、ルートの研究だ。3日間のカトマンズの旅はアッという間に過ぎていった。
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