パ ナ マ 運 河

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 私が、初めてパナマ運河を通ったのは昭和41年、ニュ−ヨ−ク航路の「ブルックリン丸」乗船中だ。この頃は「航海の記録」が
残っていないので記憶が定かではないが、加州航路をはさんで、ニュ−ヨ−ク2航海だった。都合4回通過した。そして、今回写真を
公開する「豊和丸」でも4回通過している。最初は1969年8月31日、バルボアからクリストバルへ北行、10時間5分。帰りは9月28日
南行8時間55分の航海だった。豊和丸はこの後ヨ−ロッパへ就航し、翌1970年、再び中南米へ就航する。そして6月、7月に運河を通
るが、このときの記録も欠落していて、残念ながら通過の日時を特定することは出来ていない。            

写真-1  運河では、5隻ほどの船が船団を組んで通行する。
狭い水路なので勿論一列縦隊・・・・そろそろと進む。
反対に進む船団が来ると、手をだすと握手出来そうな
近距離を何隻も通り過ぎる。最初の閘門では、まず水
位を上げて船を持ち上げる。左の写真は閘門に進入す
る前、閘門の中では先行する船が作業中であるが見え
ていない。写真をクリックして拡大すると、先行船と
反対に進んでくる船とが高い位置に見える。閘門内は
左側通行だ。
写真-2  いよいよ本船が閘門に進入する。前方には黒々とした
大扉が閉まっている。あの向こうは扉の上端まで水がい
っぱいだ。奥の反航船がずいぶんと高い位置にいるので
容易に想像がつく。このあと中の水を抜いて扉を開け、
反航船が前進して閘門を抜け、並行して本船は扉の中へ
と進むのである。
写真-3  そしてさらに時間が経過して、本船の水位が一段上昇
し、後ろを振り返ると、このように後続船が一段下に来
ているのだ。写真左の反航船は既に下の水位まで下げら
れ、奥に見える次の閘門へと進むのである。
写真-4  閘門内を進むについては、本船のエンジンはむやみに
は使えない。両岸の軌道上を走る電車からロ−プを取っ
て前後計4輌の電車で微妙な操作をして本船を発進停止
させる。一連の写真で見ると、閘門両岸の線路、電車な
どの様子がよく判る。残念ながら、これらの写真がいつ
撮られたのか記録がなく特定できない。
写真-5  航海の記録から一枚の写真を借用する。ジャパンロブ
レのこの写真はパナマ運河で撮影されたものである。
写真-6  最後にロイド・マリタイム・アトラスからパナマ運河
の部分を借用。上が大西洋、下が太平洋である。

(完)

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