日本丸航海記


昭和38年
5月9日 (木)  雨
 前日来の降雨にもかかわらず見送人多数来船、出航式場にあてた第一教室をあふれた人々が甲板上に列をなす盛況であった。 1300より航海訓練所長、運輸大臣代理を始め多数来賓参列の下に出航式を行い、士官食堂において乾杯の後、見送人退船を待って直ちに総員出航配置につく。定刻1400に中突堤を解纜。雨中作業衣に身を固め、元気一ぱいの登檣礼で見送人の歓送にこたえつつ、第一航路を抜けて5000浬の壮途に上った。折からの降雨で視程約1浬半、厳重な警戒体制をしいて一路南下。1715友ケ島を過る頃には自らの船体さえ霧堤に没し去る程の悪コンディションに見われて前途の多難を懸念したが、1830より視程3浬に回復して愁眉をひらいた。2320市江崎灯台を5浬でかわり、船脚快調にのびはじめる。船内点検異常なし。本日の出航式によせられた訓示・挨拶は次の通り。( 略 )

 出港当日および航海中の写真は、 こちらから  その後は こちらへどうぞ。

 5月10日 (金)  雨
 0154潮岬灯台を<004>4.5浬に航過してEast に定針した。続々とつらなる小低気圧に終日雨、12〜3米の偏東風になやまされて速力4ノットを下回る。特別日課で静粛な船内にレ−シングするプロペラの音がむやみと高くなりひびく。 「ご出発を祝し、一路平安を祈ります」と祝電の到来しきり。( 芳名略 )

 5月11日 (土)  雨后曇
 依然として逆風6、しかしながら雨足杜絶えて正午近くに陽光を垣間見た。平均速力4.25ノット。正午、蘭灘波島を13浬に望見して<105>に変針した。この海域の偏北流はきわめて顕著で、八丈島を航過する迄に1p’t の圧流を観測した。

 5月12日 (日)  雨后曇
 天候好転の兆は全く見えず、今日も可成の動揺が続く。正午計算によれば、<325>方向に34浬のカレントをうけている。咳き込むようなエンジンの響きが、ようやく帆走日和待ちの焦立たしさを覚えさせてきた。夕刻より風波若干おとろえる。

 5月13日 (月)  曇時々晴
 不連続線圏内を抜けて、久方ぶりに陽光を仰ぎみた。碧い空、青い海の色が本当に美しく感じられる。索具類の乾し方と併行してバギ−リンクル取付がはじまった。 学友会各部も活動を開始して遠航らしい雰囲気が徐々に盛り上がってくる。 正午航程117浬、針路<075>。本日、ソ聯ロケット危険区域がジョンストン島南方およびミッドウエイ北西海域に設定された旨入電があった。

 5月14日 (火)  薄曇
 東南東の和風訪れ、東京以来濡れた帆を乾かす目的を兼ねて帆機併用で船脚をのばす。約1ノットの増加率。マスト作業に天測に、実習生の身うごきにもようやく活気がみられるようになってきた。夕刻乾燥した全帆をたたむ。

 5月15日(水) 薄曇
 北方への圧流著しく、正午に18浬の偏位を測得した。1昼夜平均実速力9.85ノットは恐らく今次航海のレコ−ドとなるだろう。1300より帆走開始。西南西風5、右舷2点開きで総帆一ぱいに力をはらんで快調のスタ−トをきった。日没前、小雨の来襲を境にローヤルをたたむ。意気可成り軒昂。出航以来初の入浴をたのしんだ。

 5月16日(木) 雨後曇
 昨夕より引き続いて降雨。早暁一旦絞帆したアッパ−ゲルンも、0830風勢衰えてロ−ヤルともどもセットした。北北東の微風で船速いたって鈍い。夕刻より天候回復して雲間に星を散見するようになった。ロ−ヤル、メンスルをたたんで左舷一ぱい詰開きの体制のまま深更にのぞむ。風向順転して東風となったので、ウェアリングを行い右舷開きとした。

 5月17日(金) 曇
 雲量8乃至9、水平線は濠気にかすんで決して快適とはいえない。しかしながら瞬時の陽光を惜しむように索具作業を継続する。午后にはフルセ−ル、南西風を右舷クォ−タ−にうけて6ノットを保つ。久方ぶりの大掃除で船内に清々しさを取戻した。きのうあたりから帆立クラゲを散見し、来し方1000浬の航跡にいささかの感慨ありというところ。

 5月18日(土) 曇
 南乃至南微西の風10米、早朝からフルセ−ルで順走。出航後初の洗濯日課を行ったが不十分な陽光で結局後始末に一苦労した。午後第一回の映画大会、アメリカ文化センタ−や毎日放送の厚意によって準備したフイルムが、これから先の船内生活にも可成りのうるおいをもたらしてくれるであろう。そう確信できる程に本日は盛会であった。 薄暮をむかえて気圧の下降きわめて顕著になる。西方に発達した1008ミリバ−ルの低気圧の接近に備えて荒天準備、ロ−ヤル、アッパ−ゲルン、メンスルをたたんだ。ステイスルはジガ−ステイスル、アウタ−及びインナ−ジブのみを残す。それでさえ、夕刻には1ワッチ40マイルの快調のログスピ−ドを記録した。

 5月19日(日) 曇
 帆走開始以来初の荒天状態といえよう。リギンに唸る風の声、船側を叩く波の音が太平洋上三分の一航程の実感をもたらす。風向の変化は激しくヤ−ドのトリム頻々、Eastへの保針に懸命の当直をつづけた。結局軽帆をたたんだ儘、動揺に堪えつつ、船内はきわめて静粛な休日をおくる。180度子午線通過の懸賞募集要領が発表されて、食事時の話題一人にぎわう。本日重病人発生のノルウエイ船TRAJAN号(本船より<305>方向210浬)の緊急通信を傍受して緊張したが、本船とはただ一回の交信にとどまり、その後はUSCGとの医療通信にすべてが処理された模様である。

 5月20日(月) 晴
 低気圧一過、朝から碧空を仰ぎみる快適な日和を迎えた。しかし、北緯40度ともなれば空気は流石に皮膚に冷たく感じられる。風向南東乃至東南東、風力4、適宜減帆して船脚を調節しつつ左舷一杯開きで進む。速力2〜3ノット。1630風向徐々に逆転して東となったので、ウェアリングを行い、右舷一杯開きとして北上の態勢をとる。ゲルンスル以上の軽帆を減じた儘夜を迎えた。帆走開始以来連日順風に恵まれてきたが、本日は遂に不本意な状態のまま一日を暮した。 日本丸新聞創刊号が発行された。

 5月21日(火) 曇
 風向依然として儘ならず、北進南進を繰り返す。正午位置経度にして僅か23分の東進に止まった。子午線通過懸賞が締め切られ、風向に船速に四囲の関心が集中して話題大いににぎわう。 早朝から展じたゲルンスルも、夕刻少雨とともに風勢強まる気配が見られたので絞帆した。

 5月22日(水) 雨
 0600前日来の南東風徐々に右転して南西の順風となる。すかさず総帆展じて船脚を早めた。雨と霧、天測不能のため正午位置は推定にとどめざるをえなかった。 1330不連続線通過と共に風勢15メ−トルを上回り、ロ−ヤル、スパンカ−および各マストステイスル(ジガ−ステイスルを除く)をたたんだ。じとじとと降り続く霧雨、黒ずんだセ−ルからしたたり落ちる雫の音がフォックスルに一人立つルックアウトをやたらと感傷に浸らせるような夕景であった。

 5月23日(木) 霧
 昨日来の濃霧は一向に晴れる気配なく、時折キャッチされる他船の霧警報にレ−ダ−当直を増員して緊張した当直を続けた。 南西風4、うねりはほとんどなくて静穏な一日であった。子午線通過の懸賞にひきつづいて学友会では運動会の企画がはじめられた模様である。

 5月24日(金) 霧
 今日も霧、乳白色のヴェ−ルを通して垣間見た水平線に太陽を下ろす。天測位置が無償になつかしい感じさえする。西経入り間近く、船脚快調。 北西方に発達した980ミリバ−ルのアリュ−シャン・ロウに吹き込む南西風は力強く右舷一点開きで針路 EbyN 、ログスピ−ド9ノットを上回る。日没時、アッパ−ゲルンメンスルを減じた。本日僚船北斗丸の遠航出発を祝して打電「御多幸なる航海を祈る、西経間近く一同元気」。なお、霧中を航過したNYK赤城丸航海士一同より激励電がよせられ丁重な謝電を返した。大掃除終了後約2時間、船内暖房装置を利用して居住区の湿気追放をはかった。5月下旬、北太平洋ならではの景物であろう。

 5月25日(土) 晴
 早暁不連続線の通過とともに風位北西に転じた。驟雨一過、日出を迎えて久方ぶりの晴天となる。洗濯日課、天測、その他すべて快調。1333(0130Z)180度子午線を通過して西経に入る。学友会活動も活気を帯び、実習生諸君の容色にも明るさがよみがえってみられる。北斗丸船長より謝電が届いた「電謝す、一同元気で南下中。」

 5月25日(土) 快晴
 快晴、南東風定吹して、3乃至4、絶好の日和となった。思いきり船内を開放して長い間の湿気を拭去する。さんさんたる陽ざしをあびて柔剣道、空手、体操などなど、子午線通過の当選者表彰を織りまぜて学友会活動は堰を切ったごとくに活躍をはじめた。風良し、温度よく、船内和気に溢れてこよなく楽しい休日日課であった。所長より激励電があった「実習生初の西経入りを祝い、乗組員一同の労苦を偲ぶ」。本日朝別課に、補修のためミズンアッパゲルンスルを取換えた。

 5月26日(日) 雨
 終日雨、しかしながら風位よくて順走を続ける。今航帆走開始以来、本日正午迄の帆走平均速力6.0ノット。日没に前後して風向南西から北北西に急変したためウェアリングを行った。北斗丸より前職員○○、△△両氏連名の激励電が寄せられ、これに対し、丁重な返電を送った。

 5月27日(月) 晴
 西経の風はやわらぐ、陽射しは皮膚にこの上なく快い。静穏な航海日和であった。セ−ルメーキング捗る。

 5月28日(火) 雨
 早暁から順風をえて、午前の課業時間を前年来の継続研究事項である帆走性能実験にあてた。
1030実験終了近くに風力著しく増大し気圧の下降きわめて顕著となる。発達しつつ急速に接近する低気圧の影響圏内にまきこまれたものと思われる。横なぐりにたたきつける雨をついて荒天準備、諸開口部の閉鎖と併行してロア−ゲルン以上の軽帆をたたむ。
1300バロメ−タ−は1008ミリバ−ル、風速15メ−トルを超えて上甲板に飛沫があがりはじめた。インナ−ジブ、ロア−トップスル、ホ−スル、ジガ−ステイスル、スパンカ−を残して全部畳帆、救助艇も収納して万全を期した。
1800風勢おとろえると共に雨はあがり、バロメ−タ−も1008ミリバ−ルから徐々に上昇の気配を見せはじめた。風向右転して西南西、ヤ−ドをブレ−スインして夜航海に入る頃、上空に雲の切れ間が散見されるようになった。最大傾斜17度、短時間ではあったが出航以来最大の荒天模様であった。

 5月29日(水) 雨
 朝から鬱陶しい雨が小止みなく降りつづく。風もなくて垂れさがったセ−ルが痛々しく感じられる。その上にうねりは高くて時折びっくりする程大きな傾斜をもたらして、不快度はなはだしい。
1630南東の和風ようやく訪れて船脚をつける。右舷一杯開き、風速徐々に増して10メ−トル、だが依然として雨雲は去らない。本日午後、二通士はレ−ダ−点検作業中足をすべらせて転倒し、口腔部に3針を要する裂傷と右手首をねん座した。

 5月30日(木) 雨
 午前中一ぱい雨の気配を残しながらも、時々碧空が覗く空模様となった。南南西の順風5、針路を East に保ち、総帆を展じて快走をつづける。午後、第2回目の帆走性能実験を行ったが、実習生の協力態度も可成り快く、経過は至極順調であった。 夕刻、ロ−ヤルをたたむ。運動会を明日に控えて甲板上は練習にはげむ人影多数。準備万端ととのって今夕はなかなかに楽しい雰囲気であった。

 5月31日(金) 晴
 好天和風、気温は12°Cと皮膚に快い。
0900より往航のメインエベントとも目される船内運動会が開催された。好プレ−、珍プレ−続出、終始和気と活気に溢れて愉快な一日をおくった。結果はまたもや甲板部の連覇するところとなったが、実習生、乗組員各部とも全力をあげて技を競い、悔いなきゲ−ム展開と快い疲労感は、勝敗は別にして大いに満足してよかろう。
1600より右舷一杯開きでバイザウインド、針路略 East に保って速力6ノット。南からの長涛がいささか気にかかる。

 6月1日(土) 曇
 夜半より風速増して15メ−トルを超える。ゲルンスルを畳んだ。976ミリバ−ルと発達して東進するアリュ−シャン沖の低気圧に吹き込む南風は、不連続線の接近とともに激しさを加え、長大なウネリを伴って屡々船体に Wave Mass をたたきつける。夕刻にはアッパ−トップスルを畳帆して荒天準備を行った。前日の運動会とはうってかわった悪条件下の航海訓練所創立記念日であった。船内休日日課。

 6月2日(日) 曇
 終日、偏南南西風、風力7。気圧、風位とも昨日にひきつづきほとんど変化なく、荒天模様であった。午後第3回映画会を催したが相変わらずの盛況であった。

 6月3日(月) 霧
 息づくような強風は次第に弱まり、ウネリも徐々に収まってきたので、午前中、順次アッパ−ゲルン迄増帆した。しかし、1000、水平線が乳白色に霞みはじめたと思う間もなく、船体は一面の濃霧に包まれ、その儘夜に入る。アッパ−ゲルンを減じ、フォグワーニングを放送しつつ警戒を厳にして東行を続けた。セ−ルからしたたり落ちる水音が断続して陰鬱な一日を送った。2000現在、南微西風4、気圧1027ミリバ−ル。

 6月4日(火) 晴
 南下につれて気圧は急に上昇し、0900頃には完全に高気圧帯の北縁に到達した模様。濃霧は去って陽光が帆桁を輝かす頃、総帆順走を開始した。海の碧さがなつかしい。 偏南西風4。午後は学友会活動その他で甲板上に活気大いにみなぎる。 本日急性盲腸炎患者発生して手術を行った(N3○○実習生)。なお、負傷療養中であった二通士は、今日から執務可能の状態となった。

 6月5日(水) 曇
 ○○実習生の経過順調。南乃至南東風1から2。ロ−ヤル、ミドルステイスル、ガフトップスルを除く総帆を展じて右舷一杯開き、だが船脚は一向にのびない。久方ぶりに美しくかたどった水平線を賞でながら、洋上静かにただようにも似た一日をおくる。夕刻より風勢を増してスピ−ド3〜4ノット。本日は天候に災いされて遅延していた洗濯日課を行った。

 6月6日(木) 晴
 南東の微風、昨日にひきつづいて速力は2ノット内外。午後、総端艇部署操練を実施して左舷救命艇3隻を降下した。波浪全くなく、適度の風を得て爽快なボ−トセ−リングを楽しみえた。 夕刻、剣道大会のスケジュ−ルが発表されるや、甲板上ににわか剣士の立廻りがはなやかに展開され、船内の和気一入増進されてほほえましい。○○実習生の経過至極順調、本日より摂食可能となる。山高丸□□航海士より激励電報があり、丁重な礼電を返した。

 6月7日(金) 晴
 高気圧帯の航海は、まことに気分爽快、うららかな陽ざしとよぶには若干気温が高すぎるが、碧い海に光る航跡、それを追う信天翁のユ−モラスな姿を眺めて、シスコ迄の残航程1000浬に想いを馳せる時、来し方の労苦を忘れておのずから心あたたまる。 南南東風4、総帆を展じて右舷一杯開き。午前中帆走性能実験、午後大掃除。船内を開放して下甲板一ぱいに新鮮な空気をとり入れた。 大会を明日に控え、上甲板は剣道練習に一段と熱が入る。

 6月8日(土) 曇
 薄曇・静穏な航海。1300から展開された剣道大会は、熱戦・激突の連続絵巻物、終始声援、哄笑が渦巻いて、まことに愉快な催しであった。因みに、優勝の栄冠は機関科実修生が獲得した。 本日、サンフランシスコ総領事から、停泊行事日程についての連絡、問い合わせがあった。
 「予め手配の要あるにつき、ご都合解電ありたい。
 1 21日午前中に船長他1・2名、市長・海軍およびコ−ストガ−ド司令部公式訪問。
 2 バレホ−のマリタイムアカデミイより学生50名にたいし、同校内施設を見学せしめ、学生間
   の親睦競技に応じたき旨連絡あり、当方としては26日または27日のいずれかと考える。
 3 モントレ−の軍語学校学生教官約28名、21日午後2時より4時まで日本丸を訪門、船内見
   学、学生間の日本語による懇談会をしたいとの希望あり。
 4 一般公開日 ( 例えば22日 ) およびその時間。」

 6月9日(日) 曇
 昨日同様静穏な航海が続く。休日日課を利用して柔道練習、映画大会、音楽鑑賞、写真撮影その他、思い思いの時間を充分に楽しんだ。シスコ迄の残航は1000浬を割って、遠航ムードは最高潮に達した感がある。総領事よりの碇泊行事打合わせに対し返電を発した。

 6月10日 (月) 曇
 西南西風1、航海特記事項なし。午後、柔道大会を開催した。文字通り熱と意気、肉弾相うつ激斗の末、先日の剣道にひきつづいて機関科実習生が栄位に輝いた。ともあれ、かかる行事終了後の爽快さはまた格別であるが、競技前後の処理をふくめて実習生全員の協力的雰囲気と積極性に若干のもの足りなさを感じとらされたのは遺憾である。

 6月11日 (火) 曇
 気圧の漸減は高気圧帯東辺間近しを予知させる。期待通りに順風5をえてスピ−ドを回復、久方ぶりにP・ログを流した。指示速力6乃至7ノット。時間調節のために夕刻ロ−ヤル、アッパーゲルンを減じた。本日、洗濯日課を実施した。なお、代理店業務を依頼しているNYKサンフランシスコ代理店(San Francisco Trans-marine)より連絡電報があり、折返し返電をしたためた。電文は下記の通り、
From Transmarine
「Based upon daybreak arrival Pacific Daylight Saving Time San Francisco pilot station June twentieth will clear quarantine at anchorage seven thence docking pier 40 south starboard side to. Favorable docking tide up to 1200 twentieth.」
From Master Nippon maru「Thanks arrangement hope to anchor Drakes Bay seventeenth and eighteenth to rig up. Arrive pilot station 1300 nineteenth thence quarantine anchorage and dock morningtwentieth. Beg arrangement wait your answer.」
同時に総領事宛にコ−ストガ−ドよりドレークス湾仮泊許可を取付けるよう依頼の電報発した。
「準備のため17日および18日ドレークス湾に仮泊希望、コ−ストガード許可手配乞う」。

 6月12日 (水) 
 ここ数日間の高気圧帯における逡巡を脱して、正午迄に133浬を航走、総平均速力(帆走)5.00ノットとなる。すでにサンフランシスコ迄の残航程は700浬、入港準備作業にも自ら精が出る。本日、代理店(Transmarine)との間に次の如く電報の往来があつた。
「U S Coast Guard no objection anchoring Drakes Bay however advise approximate E T A stop Bar pilots suggest if possible arrange arrival pilot station nineteenth 1100Pacific Daylight Saving time just before high water as strong run out on late ebb stop arranging customs immigration boarding at anchorage immediately after quarantine clearance please rig accommodation gangway stop docking Pilot boarding 0600twentieth stop will supply dock fenders and gangway from pier please rig in allstarboard laces bampkins davits before docking. Please confirm if you agreeable all= Transmarine =」
「Acknowledged your advices fine ETA later = Master =」

6月13日 (木) 曇
 昨夜来高圧部南北方面に伸長してふたたび無風に近い状態となる。しかし、南微西風徐々に左転して南東となり、余儀なく北進の態勢をとる。時折雲間からもれる陽ざしを除いては全く霧中を想わせるような陰鬱な曇天であつた。夕刻小雨をみた。本日、下記電報を接受して方針を検討した結果、水路事情その他を勘案して希望にそいがたき旨返電することとなつた。
「Newspress desirous take airphotoes your command under sail passing Golden Gate Bridge please advise if agreeable weather permitting stop pilots agreeable =Transmarine=」

 6月14日 (金) 晴
 偏東の徴風におされて北進する。1300残航600浬をひかえて機走を開始した。30日聞馴染んだセールに些少の名残り惜しさを覚えながらも、入港間近しを意識してロ一プ捌きに力が入る。 機関快調、水平線の彼方に積乱雲がのぞく晴朗な天気であつた。前日の検討結果にもとづいて下記のごとく打電した。
(宛トランスマリン)「Regretting unfavorable reply on sailing =Master=」
なお、盲腸手術後静養していた○○実習生は、すっかり回復してふたたび元気な姿を甲板上にみせるようになつた。

 6月15日 (土) 晴
 エンジンのリズムも軽快に平均速力9ノツト。真針路108度でDrakes Bay入口のPoint Reyesを目指す。

 6月16日 (日) 快晴
 往航の幕切れをひかえた最後の日曜日、送迎の日々につらなる想いも新たに英気を養う。午後より北西風つのって7乃至8、北よりのウネリと共に激しい動揺をもたらす。ランドホールを間近かにひかえて荒天準備を余儀なくされた。本日正午迄の直行針路109度、航程207浬を数える。南方への圧流を警戒して、2105針路を100度にかえたが、ロラン測定によれば船位はさらに偏南傾向となり、2400にいたって090度に変針した。いよいよCoastingの態勢に入り緊張一入。

 6月17日 (月) 曇
 0400風勢衰えると同時に濃霧に包まれた。常用大圏航路に程近く警戒巌重を要す。ランドホールを夢みる眠りを破って霧中信号、測深航法を動員して慎重に接近を続ける。0500レーダーにてBodega Headを087度、26浬にキャッチした。0800針路を135度にしてPoint Reyes 2浬に向首、附近を航行する船舶の信号に耳をそばだてつつ減速航行。0840略5浬沖合からPoint ReyesのDIAPHONEを確認、そのまま徐々に接航して、0915白波砕ける海岸線を霧堤の下に発見した。およそ40日間、見渡すかぎり雲と水、戯れる信夫翁にささやかな旅情をもとめて辿り着く思いのアメリカ大陸が、かすかにけむるような水涯線でしかなかったとしても、「ランドホール!」のマイクー声、甲板上にかけ上った実習生諸君には、まこと鮮やかな印象であつたと思う。1020 Chimney Rockより086度、4100米(水深40米、底質、泥)に錨して入港前の粧いにとりかかつた。下記のごとく連絡電報を発した。所長・分室長宛「1020ドレークス湾仮泊、一同元気。19日1100パイロットステーシヨン、20日0600 より着岸の予定」。宛 San Francisco Transmarine「1150 Anchored Drakes Bay =Master=」宛San Francisco Harbor Master「Trainning ship Nippon maru from Kobe anchored Drakes Bay this morning stop shift San Francisco nineteenth stop no patient = Master=」宛サンフランシスコ総領事「1150ドレークス湾着、19日サンフランシスコに向う。コーストガード連絡乞う」なお、本日所長より下記のような激励電報がとどけられた。「遠路航海の労苦を偲び、日米親善と実習訓練の成果を期待す」

 6月18日 (火) 
 洗濯、大掃除にひきつづいて、念入りな船内各部の整備作業を行った。夕食后の一刻、ひげコンクールおよび映画会で寛ぐ。なお、本日、代理店との間に下記電報の往来があつた。「Urgent Please advise ETA pilot station tomorrow =Trans Marine=」「ETA Pilot station 1100 pacific Daylight Saving Time nineteenth no patient no cargo draft twenty =Master=」

 6月19日 (水) 晴
 総員起床後直ちに抜錨用意、0640抜錨してpilot stationに向かう。途中・船内のゴミ処理のため廃棄物投棄禁止区域を迂廻し、且つ着時間を調節しつつ、1035 San Francisco Light shipに接近して、Pilot Station 着。Bar pilot Captain Fred C. Gaidsickを乗せて直ちにSan Francisco Bayに向う。この季飾には珍しく霧薄く、雄大なGolden Gateを遠望して歓声あがる。幾分灰色がかつて見える山の緑、明るい粧いの家々の構え、行き交う船上から手をふって歓迎する人々の笑顔、すべてが長い汐路の労苦を忘れさせる。1150金門橋梁をかわるメインマストを見あげた時の感慨は、また格別のものであつた。1240検疫錨地 ( Alkatraz灯台より296度1.5浬 ) に投錨して往航の幕を閉じる。直ちに検疫、ひきつづいて税関・移民官・動植物検査が行われたが、検疫手続は書類点検の後、総員を予防注射証明書とチェックした。次いで移民官も同様に船員手帳ならびに実習生証明書と全員を照合の上Landing permitを交付する手続きをふんだが、その他はきわめて好意的に行われ、実際の検査は省略された。酒・煙草等のシールも行われなかった。本日来船した領事館員との打合わせ結果にもとづき、夕食后実習生乗組員ともども明日以後の停泊行事の連絡協議を行った。入港第1夜、豪華なサンフランシスコの夜景を賞でながら、なつかしい故郷からの便りを枕辺に静かに憩いをとる。

6月20日 (木) 晴
 0545 Docking Pilot Capt .Fullerが乗船、tug boatの警護をえながら予定した40番埠頭に向う。朝霧に煙るOakland Bay Bridge 通過は見掛け上マストすれすれ、黒々とした橋梁と対照的なポールの白さがきわめて印象的であつた。0650着岸、ただちに待機していた領事館員および日系人団体代表者の懇篤な歓迎を受け、船上で停泊スケジュ−ルの詳細を打合せた。1000船長は記者会見を行つたが、代理店業務を担当するCapt. Saunders の配慮もあって集った報道関係者は20名を上廻り、全く予想以上の盛会であった。船長のメッセ一ジにひきつづいて、本船要目・航海状況は勿論、挙句の果ては帆船による教育方針の質疑まで行われて、記者会見は写真撮影を含めて約1時間を要した。因みに、本日参集した報道関係者は次の通り。
  San Francisco Chronicle
   San Francisco Examiner
   San Francisco News Call Bulletine
   Oakland Tribune
   KTVU-TV
   KCRA-TV
   KRON-TV
   KGO-T
   Nichibei Times
   NBC-KNBR Radio
   KFRC Radio
   President Marine Exchange
   Nippon-to-America Magazine
1300船長は、機関長および次一航を帯同し、堀領事館員の案内で公式訪間を行って入港の挨拶をした。
1.日米タイムス 社長 浅野七之助氏
2.北米毎日  編集長 清水  巌氏
3.日米会
4.フエリービルデイング  
日系人商工会議所 代表者 浜田定衛氏
ポートオウソリテイ       埠頭長   ハートマン氏代理D.E.デイロン氏
5.Trans Marine Vice President Raymond O. Flood
NYK支店 H. Yamamoto
6.領事館 総領事 Toshio Yamanaka
なお、1030 U. S. Maritime Administration の太平洋岸商船教育訓練代表 Capt.O' Counell が、California Maritime Academy ヘの招待ならびに本船実習生との交歓行事打合せのため来船された他、記者会見の席上Marine Exchange のPresident Capt. Knox よりサンフランシスコ湾の模型図の贈呈があった。実習生乗組員半舷上陸。着岸初日から船内見学に訪れる客多教、当地の本船に対する関心は相当程度に高いものとみうけられる。

6月21日 (金) 晴
 この土地ではほとんど降雨をみないという季節であるが、今日はまた格別の好天気、紺碧の空の下明るい陽光をあびて、長橋が一段と映え輝く。夏姿を街頭に散見する程の陽気であつた。0900より、船長は機関長・次一航を帯同して山中総領事の案内で、次を公式訪問し入港の挨拶を行った。
 0930 RADM Elmer E Yeoman USN Commandant 12th Naval District
1000 Mayor Christopher
1030 Captain Karl O.A. Zittel USCG Chief of Staff, 12th Coast Guard District
( RADM Winbeck 司令官不在のため )
Captain Zittelは、かつて「イーグル号」にCaptainとして乗船の経験があり、帆船練習船をめぐって大いに話題にぎわう。1300より1600まで、モントレー軍語学校( Defense Language Institute, West Coast Branch ) の教官および生徒30名がColonel Donald B. Miller 引卒のもとに本船を訪れ、船内見学の後実習生と日本語による懇談会を催したが、きわめて熱心な勉強態度に感銘をうけた。半舷上陸、今日も見学者きわめて多数、白人に招かれて行を共にする実習生も次第に数を増し、まこと微笑しい日米親善の雰囲気がかもし出されてきた。なお、本日Capt. Saunders ならびにPilot associationのアドバイスによると、当地は午後になると偏西風がきわめて強くなり、明日予定のセ一リングドリルはもとより、本船の出港も困難な状況になるとの由、検討の結果予定を次の通り変更して関係方面に連絡した。
アトホームスケジユール
 22日 1100セーリングドリル
     1400〜1700 一般公開
 出航予定
  28日1200
昨日はWeather Bureauの厚意によってバロメ一ターの検定をうけたが、今日は次一航が堀領事館員の案内でAlameda air StationにあるFleet Weather Center を訪れ、波浪予想図について懇切な説明をうけた。又、本日0900より、タンク車により燃料油の補給を行い、15,108キロリットルの搭載を終った。

 6月22日 (土)  晴時々曇
 朝別科から、アトホーム準備に拍車をかける。定刻1100桟橋上に集まる観衆は予想を下回る人数(約120名)であつたが、多数のテレビカメラやニュースマンにたいして「セーリングドリル」を披露した。小雨と共に時折来襲する突風を懸念したが、幸いにも実施時間を境目に天気はすつかり好転し、南西の徴風に総帆小気味よく展ぜられて1210無事終了した。Capt. Saundersの熱心な説明もあつて、まずまずの成功といえよう。午後に予定した一般公開は、週末のことでもあり、開始時間の1400をいまや遅しと待ちかまえる人の波で40番埠頭はあふれんばかり、ドツク上で演ずる柔道・剣道・空手も多くの関心を集めて、この日本船を訪れた人数は大凡4000名、案内・説明・警備・接待などなど実習生の活躍は、来船されたサンフランシスコ市民に多大の好感を与えた。午後、風勢若干強まり、気温やや低下した。実習生半舷散歩上陵、一般公開を通じて知己を得た人々と連れだってでかける学生の数が目立って増加してきた。

 6月23日 (日) 
 0930船側発の第1便を皮切りに、実習生総員と乗組非直員はバスを駆ってゴールデン・パークで日系三団体開催の日系市民合同ピクニツクに招待された。土地の人々が珍らしがる程の好天気、縁の芝生にふりそそぐ陽光は、冬制服をまとったわれわれを戸惑いさせる程。演芸会や福引きなどを織り込んで日系人諸家族の心からなるもてなしをうけ、海を越えて訪れた已が身を忘れさせる程の寛ぎをえた。当直員は1700帰船、上陸舷では多教の者がそのまま各家庭への招きにあずかった。因みに、日系三団体(日米会、日米市民協会、日系商工会議所)の主唱でこの日集った人々は、領事館の人達を加えて4500人を超えたといわれる。一方、日曜日を利用して船内を訪れた見学者も約3500名の多教にのぼった。

 6月24日 (月) 晴
 1230より実習生総員ならびに乗組員非直舷は市内見学を行った。日系団体差廻しのバス2台に分乗してCity HallからGolden Gateにいたる約5時間のコース、天気よし、案内の一世の方々の説明も懇切をきわめて観光効果万点。ひきつづき1830より「きむらすきやき」における総領事招待のパーテイに赴き、日米出席者多数との歓談の一刻をたのしんで総員2030帰船した。なお、Capt. ZittelとCapt. Bowmanが船長を送って揃って来船され、本船諸教官と帆船訓練をめぐる意見の交換を行った。

 6月25日 (火) 晴
 午前、購入食料品の積込み、午後は前日の当直員が市内見学に出かけた。実習生は1500交代の半日半舷上陸。好天続きで、見学のため来船する市民はこの日も1500名余を数えた。

 6月26日 (水) 晴
 900船側発のバスで、実習生総員 ( 指揮三機・三航 ) はVallejoにあるCalifornia Maritime Academy を訪れた。出迎えた学生の案内で校内施設を見学の後、昼食を饗されながら歓談、終ってソフトボールの親睦競技を行った。1500から同校体育館で柔道および空手の型を披露したが、強い関心を示すものもみうけられてなかなかの好評であつた。1615同校発で全員帰船。なお、同時刻に船長・機関長・一機・次一航もCapt.O'connelの送迎で同校を訪問した。この度の企画は、同校より領事館経由の申出によるものであるが、交歓・親善・相互啓発に役立つ有意義なこころみであつたと思う。

 6月27日 (木) 晴
 実習生は25日同様の半日半舷上陸。有志は許可を得て、衝突事故を起した興国丸の損傷状況を見学した。午前採水、食料品の積込み等出帆準備順調に捗る。1800より上甲板後部において船長レセプションを催したが、クリストファー市長他多数の賓客(約100名)を迎えてきわめて盛会、停泊中各方面からよせられた厚意にたいする謝意を表して2000散会した。サンフランシスコ最後の一夜はあわただしく過ぎ去る。

 6月28日 (金) 快晴
 当地停泊の一週間をふり返ってみるとき、内容豊富で意義深い日課行事が編成されていたという印象にいつわりはないが、一方、緊張の連続で些か疲労気味を訴えたい気持も正直な処であろう。檣上にかかげられた出帆旗を仰いで、ホッと安堵の溜息をもらすものもみうけられる。ぞくぞくとつめかける見送りの人々との挨拶を終えてl140総員出港部署につく。船長はマイクを通じて滞在中のご厚意にたいして謝辞をのべ、惜別の情を緊張の面に包んで、1200もやいを解く。40番埠頭をかわって程なくDock pilot Capt. C. Johnをおろし、後はBar pilot Capt. Johan H. Severの○導にかわる。手配宜しく Ferry BuildingやGolden Gate Bridgeで見送る人々にも長三声の礼を返しつつ、可成りの強風に逆って湾口をめざす。1405パイロツト下船、針路を<240>度に選んでFarallon灯台を5浬に向首した。船内時刻を1時間21分調整。うねりなく視界すこぶる良好、わずか一週間の停泊期間ではあつたが、ふたたび接する紺碧の海原になつかしさと親しみさえ覚えた。2000より針路を<210>度にかえた。
(附記)この度の本船寄港にあたっては、各方面から次のようなご厚意をいただいている。附記して参考に供する。
1 Capt. Saunders ( San Francisco Transmarine )の在泊中毎朝の来船連絡。
2. 次記各方面よりの便宜提供ならびに無料取扱い。
 ○離着岸水先料および曳船料
   Merchants and Shipowners Association Capt. W. Figari
 ○出入港水先料
   S.F. Bar Pilots Association Capt. W. J. Olsen
 ○Gangway, Skid一Plates, fenders 使用料
   Regional Terminal Manager Matson Terminals Capt. J. L. Orden
 ○Dockage fees
   Harbor Board
 ○港地区の出入自由
   Arthur J. Fritz & Company R. L. Boxter
 ○その他
   水代割引、監視員取止めなど。
3 日系人団体の招待。見学バス代の負担、ただしMaritime Academy 見学のバス料金は本船で自弁した。

 6月29日 (土) 快晴
 懸念したガスもなく、北西風5乃至6が定吹する。0900帆走開始、ローヤル・ガフトップスルを除く総帆を展じて、針路S/W、ふたたび翼をとりもどして次港カフルイをめざす。洗濯日課。夕刻トップマストおよびミドルステイスルをたたむ。本日、初の漁獲あり、「カジキマグロ」一匹。なお、滞在中の厚意にたいして次のごとく謝電をおくった。RIYOJI SANFRANCISCO「TEIHAKUCHUNO GOKOOHAI SHASU KANKEIKAKUINI YOROSHIKU =SENCHO=」( 停泊中のご高配謝す、関係各位に宜しく。) MAYOR SANFRANCISCO SANFRANCISCO TRANSMARINE「Hearty thanks for your hospitality and favors=Master=」

 6月30日 (日) 晴
 北西風かわらず総帆順走がつづく。夕刻より下層雲が拡がりはじめ、わずかながら北西よりのウネリを感じる。軽帆およびメンスルを減じた。 静かな日曜日課をすごす。

 7月1日 (月) 晴
 北微西風4、ヤードスクェヤーのまま順走を続ける。本日、下記のごとくサマーセールと交換した。
(午前)
    メイン、ミズンミドルステイスル   F
  ジガートツプマストステイスル E
  ガフトツプスル F
  スパンカー             E
  メンスル E
  メイン、ミズンアツパーゲルンスル  E
(午後)
   フライング、アウター、イソナージブ E
   ホースル F
   ホァアッパートッブスル   E
なお、航機とも役員実習生の交代をおこなって気分一新、諸作業一段と活気づく。

 7月2日 (火) 晴
 南下につれて気温次第に高まり・涼を求めて凹甲板に憩う姿を散見するようになつた。午前、帆走性能実験を行い、午後はセールメーキング。航海状態はすこぶる順調。

 7月3日 (水) 晴
 午後、総端艇部署操練を実施。1、3、5号艇を降下して約2時間のセーリング訓練を行つたが、一見静穏にみえても流石に太平洋上、小艇の動揺ははげしくて船酔いを訴えて音をあげる者がでたのは些か期待外れであつた。風向北に偏して針路をSSEにとる。速力2乃至3ノツト。

 7月4日 (木) 晴
 風勢乏しくて船脚のびず。気温は20度を趨えて船内に夏姿が多くなつた。主機左舷No.4気筒のピストン抜き作業を実施した。

 7月5日 (金) 晴
 高気圧のまつただ中、今日も昨日と同様に洋上を漂うに似た帆走状況。右舷一ばい開きのまま総帆力なく垂れ下る。前日よりの主機関の整備作業終りl100より約20分間試運転を行った。午後小スコールに出会う。本日、大掃除日課。

 7月6日 (土) 晴
 風弱く航程捗らず、予定地点への進出を図り、0840総員により畳帆を開始して0900より機走に移った。洗濯日課。本日午後より囲碁一将棋大会がはじまり、下馬評・土手評みだれとび話題大いににぎわう。

 7月7日 (日) 晴
 機関すこぶる快調に、平均速力9.32ノット。水平線に積雲系の雲を望み、東乃至東北東の和風をみとめて1600より帆走にうつる。その後風力やや衰えて平均速力3ノット。夕刻より夜にかけて時々しゆう雨があつた。日曜日課を利用しての囲碁将棋大会は熱戦がつづけられている。本日漁獲物第2号、カツオー尾食膳にあがる。

 7月8日 (月) 晴
 時折スコールに見舞われるが規模すこぶる小さく、ヤードスクエヤ−のまま順走を続ける。偏東北東風に乗じて極力西進を図つたが定吹せず、船脚なかなかにのびない。午後、実習生と船内生活における諸問題や今後の予定をめぐって懇談会を行った。本日0800より機関科実習生の帆走当直がはじまつた。

 7月9日 (火) 晴
 偏東北東風4乃至5、概ね順調に吹いて正午航程100浬を超える。夕刻より風勢増してローヤルを畳んだが速力6ノット内外を保ち、久方ぶりに白波をわける船側の快音をたのしんだ。午後、昨年度の航海予定その他について教官会議を開催した。

 7月10日 (水) 晴
 駿雨性の天侯のため風向不安定ではあつたが、概ね偏東北東3乃至4、快適な順走を続けた。夕刻より風勢幾分つのって速力を増し、ログ当番しばしば7ノットを報ずる。本日午後防火部署操練を行った。

 7月11日 (木) 晴
 快走151浬、漁獲も多くシイラ5匹、朝夕の食膳をにぎわしてトレ−ドの雰囲気最高潮に達した感がある。ハワイ迄の残航程840浬、空手、柔道の練習も一段と活気づく。

 7月12日 (金) 晴
 朝から風弱く期待を裏切ることはなはだしい。この分ではハワイ以西のトレードウインドも案外に微弱なものではないかと懸念される。今日の状況では昨日一昨日とつづいた快走ぶりが一ぺんにとり返されたかたちである。午後第一教室において船内相撲大会が開催され、熱戦の末航海科1部が優勝を飾った。もとより、一戦一戦が、息詰る激斗で、単調に堕し易い船内生活を大いに活気づけたものではあつたが、遺憾なことに航海科4部が参加せず折角の催しに一沫の寂蓼感を味わされた。

 7月13日 (土) 晴
 前日同様風勢弱い。その上に1400頃から頻々と降雨に見舞われて爽快さ全くなし。1930にいたって北東の和風をとらえてやや愁眉をひらく。午前洗濯日課、午後は囲碁・将棋大会の決勝戦が行われた。因みに、優勝チームは次の通りであつた。
囲碁 士官Aチーム
将棋 航海科2部

 7月14日 (日) 晴
 偏東風5、昨夕より連吹して正午迄に航程132浬を数えた。ただし、東からの顕著なウネリがあって時々船体が大きく動揺する。気温があがり船室内は蒸し暑さの度を加えてきた。本日、久方ぶりに映画会が催され、ハワイを目前にして最後の日曜日課をたのしんだ。朝別科時、補修のためにアウタージブを取り換えた。

 7月15日 (月) 晴
 深更可成り烈しいスコールに遭ったほか、終日偏東北東5乃至6の風を右船尾に受けて快走を続けた。午前中帆走性能実験を行い、夕刻、ローヤル、メンスルを畳んで速力調節をはかったが、なお現状から推して残航程に相当の余裕が見込まれる。

 7月16日 (火) 晴
 偏東風5乃至6、依然として快走つづく。カフルイ港までの残航程を考慮し、午前ロアーゲルン迄絞り、夕刻にはついにフォアロァートツプスル、フオースル、アウタージブ、ジガーステイスルの4枚のみに減じたが、スピードはなかなかに衰えず5ノット以上でひた走る。本日正午よりの残航程240浬。日没前北方水平線上にレーサー(ヨット)らしき船影を視認した。

 7月17日 (水) 晴
 気象および海面状況前日と略々同様。0745星測結果にもとづき残航調整のため針路をNNWにかえて右舷一杯開きとした。ロアートップスル3枚、フオースル、ジガーステイスルー、アウタージブにて速力2ノツトを保つ。トップスルを滅じた後2000ウエアリングしてふたたびカフルイ港外に向首。東よりの長大なウネリを感じつつ航走する。本日1640頃ロスアンゼルスーホノルル間レースに参加しているヨット1隻船首至近距離を過ぎ、相亙に激励をかわした。

 7月18日 (木) 晴
 正午残航85浬、燃料節約をかねて翌早朝の機走開始を計画し、フオースル、トップスルとほとんど前檣帆のみにてマウイ島接近をつづける。1810雲間に高くそびえるハレヤカラの稜線を望む。本船寄港予定をつたえるカフルイ放送の直后、折から課外活動にいそしむ上甲板にかん声があがった。
本日、下記電報の発受がみられた。
宛 Harbor Master Kahului, Maui
「Nippon maru ETA 0900 19th off Kahului No patient no cargo draft twenty feet Beg pilot =Master=」
宛 加藤栄六氏 ( 歓迎委員長 )
「予定通り19日0900港外着見込み宜しく」
宛 ホノルル総領事
「19日0900カフルイ着予定宜しく」
発 カフルイ歓迎会
「全員無事入港を待つ」

 7月19日 (金) 晴
 0400カフルイ港外を約40浬にのぞんで機走を開始した。折悪しくスコールが頻々と来襲して視界きわめて不良、陸標による船位確認はなかなか困難な状況であったが、接近するにしたがって視野にとびこむ山肌の緑、ゆるく流れるスロ一プが鋭く落ちる海岸線の奇景を眺め、噂に聞いた南国情緒を偲びつつ、サンフランシスコとは趣きの違った感慨を味わう。0930約一浬半沖合にてPilot Capt. Erich H. Steinを乗せて港内に向う。風浪船体を横に圧して防波堤附近の操船は決して容易ではない。Pilotの操船はすこぶる慎重、1000出迎えの人垣あふれる第2埠頭Cバースに無事着岸を終えて、直ちに通関、検疫手続を行ったが、いずれも書類点検のみで簡単に終了した。交通許可が認められた直後、総員岸壁上に整列して船陸相互挨拶、花籠・パンフレツトの贈呈が行われた。はじめて見るフラダンス、話にきかされたハワイアンスタイルのレイ贈呈など、学生間にいささか紅潮の頬を散見して微笑しい風景であった。ひきつづきサロンにおいて歓迎会委員のメンバーと日程の打合せを行った。1330より船長は、機関長・次一航を帯同して下記のとおり公式訪間を行って入港の挨拶をした。加藤委員長の他、山根、木下両氏が案内の労をとられた。
1.郡役所
  County Chair Man 代理 Mr. G. Hokama
2.マウイ耕主組合
Mr. Ray M. Allen
3.商工会議所
Maui Chamber of Commerce
(Mr. Roger I. Knox)
4.Maui News 社、KMVI放送局
Mr. Morson
5.カフルイ鉄道会社
Kahului Railroad Company
なお、船長はハワイタイムス、ハワイ報知両紙に入港のメツセージを手渡した他、KNUI、KMVI両放送およびテレビを通じて広く島の人々に入港挨拶の言葉をおくった。本日、前記したアレン氏より島産の西瓜20ケを寄贈された。記して謝意を表したい。実習生総員1630より2230まで散歩上陸。

 7月20日 (土) 晴
 0830船側発にて半舷見学上陸、午前中はハレヤカラ山頂をきわめて雄大な展望と銀草の美しさを観賞した後、マカワォの軍人墓地に詣でて花輪を捧げた。フォォキパ公園で昼食接待の後西部マウイに廻り、アイアオ谷で二一ドルポイントの景観を賞でた上でラハイナに至り、かつてのハワイ州首都の面影をたずねて本島ならびに本州発展の歴史を偲んだ。更にホノルア、フレーミングビーチに至り、地元日系市民より、パイナップル、ソーダ水、アイスクリーム等の接待を受け、女子高校生達によるフラを観賞して楽しい交歓の一時を過ごした。非常な好天気にめぐまれた上に、プライベート・カーのご厚意で豪華なドライブを心ゆくまで満喫して1715帰船した。なお、本夕1800よりクライスト・ザ・キングのキャフテリァで一般歓迎晩さん会が催され、実習生総員と当直者を除く職員・乗組員多数が出席、ホノルルより来島された下田領事をはじめ、島内名士多教とともに温いもてなしをうけて歓談の一刻を送った。その後若干の時間をえて実習生多教はパイア本願寺の盆踊りに招待された。

 7月21日 (日) 晴
 前日にひきつづいて半舷見学上陸。1900からは、ボードウイン・ハイスクール講堂において船陸交歓会が行われ、当直乗組員を除く全員が参加した。第一式の後演芸会に移り、拍手喝采のうちに盛沢山の豪華なブログラムが進行され、船側も空手演技や船長・一航の特別参加をはじめとして実習生諸君が大いに多芸ぶりを披露し、まことににぎやかな愉快な一夕をすごした。日曜日とあって一般の船内見学者もきわめて多数であった。因みに、本船の一般公開時間は次の通りにしている。
 0900〜1100
 1300〜1600
 1900〜2200
 当地は0900頃より風勢が強まる一般傾向にあるが、この日はとくに強く、午後から夕にかけてしばしば15m/secを上廻っていた。本日1600、本船歓迎会出席のために来島された下田領事が帰られたが、加藤委員長とともに船長代理として次一航が空港に見送った。

 7月22日 (月) 晴
 半舷自由上陸。早朝から深更まで訪船者ひきもきらず、実習生、乗組員を招待してくれる方々の出入きわめて頻々、ご厚意によってそれぞれハワイアン・ホスピタリテイを心ゆくまで堪能させていただいていることだろう。本日行われた行事としては、Capt. Erich H. Stein の招きによって船長・機関長・次二航・実習生代表1名が当地ロータリアンの会食(昼食)に加わったほか、1600からは、Mr. R. M. Allen 邸で催されたMrs. Allen、Mrs. Haghes, Mrs. Hegler主催のカクテルパ一テイーに船長以下職員10名が招かれ、同席した当地の関係名士一同と歓談した。なお、1900よりワイルク本願寺で柔道親善試合が行われたが、参加した実習生10名の中、3名が骨折・脱臼等の負傷をした。不運な事故を嘆ずるとともに、この種競技には平素の練習がきわめて大切なことをあらためて認識させられたものである。なお骨折した1名は、医師の勧めによりMaui Central memorial hospitalに一夜入院させて経過を見守ることとした。

 7月23日 (火) 晴
 本日は一日自由日課、実習生総員に上陵を許可した。船長以下職員7名はワイルクホテルで催された加藤委負長の招きによる午さん会に出席し、日本丸歓迎委員会の幹部の方々を交えて午食を共にしつつ懇談した。なお、昨夜入院した○○○実習生の経過は頗る良好で1500ギブスを施した姿で退院した。今回の事故に関しては、柔道親善試合担当者を始め、直接診療に当られた医師は勿論、日本丸歓迎委員会、実習生の知友や一般市民の方々等各方面より深い同情と好意が寄せられ、誠意ある周到な処置が執られて感謝に堪えない。特記して謝意を表する次第である。本日は珍しく風弱く日没後の一刻静かな夕景をたのしんだ。

 7月24日 (水) 晴
 一昨日同様の半舷自由上陸。本日午前中に船長は機関長・次一航を帯同し、下記の諸氏を訪問して出航前の挨拶を行い、在泊中の好意を謝した。(順不同)
 1. 歓迎委員長 加藤栄六氏
 2. カフルイ鉄道会社支配人 C. H, Burnett氏
 3. R. M. Allen氏
 4. 観光局 (Hawaii Visiters Bureau )
 5. 郡参事長 Eddy Tom氏
 6. マウイ商工会議所
この他、○○○実習生の事故に際してとくに面倒をみて下さつたドクタ−、いずみ、かしわ両氏にも会って礼を述べた。1400から船上において船長レセプションをおこなってお世話下さつた当地関係者の労に謝意を表したが、多数の賓客をえてきわめて盛会( 約70名 )、予定を若干過ぎる1700頃終了した。送り迎えの車と人、在否を確める電話のベル、一般見学者と連日船内外大いににぎわう。なお本日、次二航と実習生3名はKMVIのスタジオに赴き、要望にこたえて座談会を開き録音した。

 7月25日 (木) 晴
 朝からアトホームの準備にとりかかる。1300の開始時刻をまつまでもなく面会人多数来船、桟橋上の空手・剣道・桑道の演技に加えてリフレッシメントを提供し、広く一般の人々にたいして在泊中のご厚意を謝した。予定通り1600終了。1800からは、ワイルクの「のかおい」でひらかれた当地ライオンズ・クラブの晩さん会に船長以下職員10名、実習生40名が招待された。相互にかくし芸を披露しあってにぎやかな想い出多い催しであつた。非直員はほとんど全員上陵、出港前夜の名残りを憎しむ。 なお本日午後、船長はラジオにKMVI ならびにKNUI を通じて、マウイ市民に対し日本丸在泊中の歓迎を感謝すると共に出港の挨拶を述べた。

 7月26日 (金) 晴
 深更珍しく小雨があつた。天侯にめぐまれた一週間の停泊ではあつたが、本日は朝から時々強風に見舞われて最良の出港日和とはいいがたい。それでも早朝から来船する人々はきわめて多数、出港配置につく0830迄には船内および桟橋上はあふれんばかりの人の波、レイを贈り土産品を届ける、謝辞を述べご健康を祈る。出港前の慌しい面会風景は退船時を告げるドラを合図にやつと船内外に人垣がわかれた。歓迎委員との乾盃、出航式を終えて0910纏を解いた。風勢強くPilot Capt. E. H. Steinの巧みな操船もなかなかに困難を伴う状況であつたが、0940無事港外に乗り出した。いつまでも手を振り声をあげて見送る人々の姿が慌しく過した一週間の一コマーコマをよみがえらせてまぶたに強くやきつけられる。1100 NAKALELE p't 5浬沖から帆走開始、10米を超えるトレードウインドを利して一気にPAILOLO水道を抜ける。ローヤル、ホースル、メンスル、ミドルステイスルを除く総帆で速力7ノツト。 本日、次のごとく電報の発受を行った。
所長・分室長宛
「0910 カフルイ発一同元気」
加藤栄六氏宛
「在泊中のご高配深謝す、皆様に官しく 船長」
郡参事長 エデイ・タム氏宛 (Mr Eddie Tam)
「Many thanks for hearty welcome and hospitality. Beg forward our aloha to all concerned =Master=」
RIYOJI HONOLULU 宛
「26日0910 カフルイ発 ご配慮謝す 船長」
Commander Coast Guard Honolulu 宛
「Nippon maru Japan, enroute Tokyo. Intending to pass PAILOLO and KALOHI channel warning area BP,S2,S3,26th midnight at BERBERS p't under sail. True course 270 degrees speed 5 knots thereafter. Is there any notice to keep off=Master=」
マウイ歓迎会長より」
「全員無事航海を 祈る」Coast Guard Honolulu より「U. S. Navy Hawaii Advises quote No Scheduled Exercises Hazardous To Transient Shipping in Areas Bp,S2,S3,Period Mentioned Your 262000 G.M.T. Unquote U.S Coast Guard Honolulu」なお、本所より太平洋上のソ聯ロケット危険区域解除の旨の入電があり、直ちに海王丸宛に連絡した。193Oホノルルの灯を15浬に望んで270度に定針した。
(追記)
この度の本船寄港に際してお世話下さつた歓迎会役員のご芳名を追記し、そのご誠意とご労苦に深甚な謝意を表したい。

練習船日本丸マウイ歓迎会役員(1963年)名簿・・・省略

 7月27日 (土) 晴
 北東風5乃至6、順風を満帆にはらんで快走する。午前、洗濯,大掃除。停泊中の疲労をいやすべく非番員はもっぱら休養をむさぼる、船内きわめて静粛。

 7月28日 (日) 晴
 快走つづき、正午航程163浬。楽しかった一週間の停泊をふりかえりつつ、実習雰囲気は徐々に本来のぺ一スをとりもどしつつある。役員実習生と最終課程における日課打合せを行った。

 7月29日 (月) 晴
 コンデションすこぶる快調、本日も164浬を走破した。気温あがり船内居往区に熱気がこもる。帆影に涼をもとめて凹甲板大いににぎわう。

 7月30日 (火) 晴
 東北東風5、定吹して航海すこぶる順調。しかもこの2、3日ひきつづいて約10浬の偏西流を測得している。連日ホーム・スピードの快適さを満喫して船内の士気きわめて旺盛。夕刻、久方ぶりに小雨をみ、スコーリイな天候を懸念してロ一ヤルを減じた。本日所長より船長あてに高須前司厨長の計報がもたらされた。活気あふれた生前の面影を偲び心からなる冥福をいのって遺族あてに弔電をおくった。

 7月31日 (水) 晴
 本日の午後は、帆走性能の実験ならびに操帆操練を予定して実施にうつったが、折悪しくスコールが頻々と訪れて風向、風力定まらず、約1時間の後に中断を余儀なくされた。昨日より、夕食後の一刻を利用して発光信号練習を開始しているが実習の出足良好とはいいがたい。平均速力6.13ノツト。

 8月1日 (木) 晴
 朝別科時、昨日の実験の折破損したメインミドルステイスルを補修のため取外した。 偏北東風おおむね順調に吹いて本日も平均速力5.75ノツト、ただし,午後より下層雲量急増して天侯悪化の兆がみえ1615ローヤルを減じた。湿度高く船室内は可成り蒸暑い。なお、本日ミズン・ロアートッブスルG版の作製を完了したが、これで今次航海に予定したセールメーキング5枚( ロアートツブスル3、ロアーゲルン 1、スパンカー 1 ) をなしとげたことになる。

 8月2日 (金) 曇
 午前中可成りの降雨をみた。その後風向南東に転じて風力1乃至2、カフルイ出港以来、実験時を除いて初めてヤードを2点に開いてポートタツク、しかしながら速力は2ノツトにとどまる。1900風向左転の兆をみとめてヤードをスクェヤーに復した。本日、カツオの群に遭遇して水揚げ13本と大漁の喚声をあげた。大掃除日課。

 8月3日 (土) 雨
 早暁晴間が覗いて天候好転を思わせたが、0800頃より激しい降雨がぶり返し、トレードには珍しく本格的な雨模様の天気となつた。風向も一定せず北東から南々東まで往来して保針に苦しむ。風力2乃至3。本日予定した洗濯日課は途中で打切り、午後は久方ぶりの映画会を行った。

 8月4日 (日) 雨
 今日も雨、これで3日間連続の悪コンデションがつづく。船脚ものびず.正午迄に76浬を数えたのみ。1008ミリバ一ルの小低気圧がつきまとい、天気好転の兆はなかなかにみとめられない。ふたたび総帆快走のトレードの感触が待遠しい。

 8月5日 (月) 雨
 終日小雨模様で湿度高く欝とうしい天侯がつづく。偏南西風帆面を軽く流れ去る程度、とうとう正午航程も70浬を割ってしまった。1800前後可成りの雨量を伴ってスコールー過、暫時NEに針路を転じて難を避ける一幕もあつた。満月の月明もしばし雲間に垣間見るだけで情緒に乏しい。

 8月6日 (火) 晴
 昨夜より風勢つのって速力を増したが、風位の変転意のごとくならず西方にかわる。0400頃からは左舷一杯開きでNNWからN/Eに向首せざるをえなくなつた。低気圧周辺の不順な天候からの脱出をはかる目的と同時にハワイ列島西端の暗礁にたいする圧流を懸念して0900機走を開始した。操帆作業当時には風速12〜15米/秒を数え、その后しばらくは針路290度で船体に可成りのピッチングを.感じた。1653北緯25度00分で180度線を通過して東半球に入る頃から海面静まり、文字通りのホームスピードでひた走る。久方ぶりに聞く機関のリズムはすこぶる快調さを伝える。所長宛「6日1653ホ2500にて子午線通過、一同元気」と連絡電をおくった。

 8月8日 (木) 晴
 機走200浬を上廻り、ここ3日分の航程を一気に取り戻す。日程の都合とは云え、風がなければ機走に切替えて・・・といった安易な考え方が学生に与えられるとすれば帆船練習船もいささかお淋しい。順風の兆をえて1300ふたたび帆走に切りかえた。遼力4ノット。問わず語らずの中に実習生の操帆練度は格段の向上ぶりを示している。

 8月9日 (金) 晴
 天気良好なるも期待する程の風勢がえられない。東北東風3。帰港にそなえて携帯品目録の作成が始まる。昨今の実習生居住区には可成り勉強する者がみうけられるようになってきた。国家試験、就職試験帰港間もなく慌しい日程に追いやられる現行実習制度は、或る意味ではたしかに過酷な一面をもつていると思う。

 8月10日 (土) 曇
 東北東の和風かわらず、平均速力は4ノツト。ただしここ2、3日は1昼夜に10数浬の偏西流を測得している。洗濯日課。

 8月11日 (日) 曇時々雨
 南東風3乃至4、朝から全天雲に掩われしばしば小駿雨に見舞われる不順な天候であった。明日から始まる航海科実習生の期末試験にそなえて実習生の航海当直を2000で一時打切ることとし、午後より当直部で漸時減帆、1800一斉に総帆をたたんで機走に移った。残航約1800浬。

 8月12日 (月) 晴
 天気良好なれど風向西に変じて船脚のびず。航海科実習生期末試験。

 8月13日 (火) 快晴
 快晴静穏、機関すこぶる快調。本日一ぱいで航海科期末試験を終了した。午後、明日のローヤルヤード降納にそなえてセールをルーズして風を入れた。

 8月14日 (水) 晴
 0900帆走開始。風向略々真西、そのため右舷一杯開きで南進した。その間ローヤルヤードをおろし、ガフトップスル、ステイスル(トップマスト、ミドル)を降納した。残航1200浬といよいよ今航も手仕舞の段階に入った。午後大掃除を実施した。

 8月15日 (木) 晴
 高気圧帯内部にはいるものの駿雨性の天侯の兆がみえはじめ、予定をはやめて本日よりセールのアンベンディングをはじめた。作業は煩調にはかどり、ヘッドスル2枚、各マスト、ゲルンスル2枚、ジガーステイスルのみを残す。翼をもがれた白鳥の姿の痛々しさ、流石に3ケ月有余馴染んだフル・リグの雄友しさにあらためて親しみと懐しさがよみがえる。かく申す実習生の言葉に実感一入。夕刻はげしいスコールに見舞われた。1900星測の結果は南東方向に顕著な偏流をみとめた。機関科期末試験はじまる。

 8月16日 (金) 晴
 本日午後ジガーステイスル1枚を除いて全部降帆、1600機走を開始した。機関科の期末試験も終了し、いよいよホームストレッチにさしかかった。機関快調、明日のブラックダウンを慮り、スコールを警戒しながら西進する。

 8月17日 (土) 晴
 天気よし、午前予定通りブラックダウンを行った。入港間近く元気一ぱいで、作業は小気味のよい進捗ぶりであつた。本日所長より次のごとく来電があつた。「国際親善の成果をよろこび有終の美を期待して安着をまつ」。

 8月18日 (日) 晴
 南微西風5乃至6南西よりの長大なウネリを感ずる。

 8月19日 (月) 晴
 昨日・本日とここのところ1昼夜10浬内外の東流左測得。東京湾内到着時を予想して帰港を急ぐ船内ムードにとっては朗報とはいいがたい。

 8月20日 (火) 晴
 晴天つづきも船内の蒸暑さを増して悪評を生む始末、リギンターも乾燥した今日この頃は、一雨望んで碧空を仰いで嘆息するものも多い。偏東流の傾向は次第に滅少してきた。本日、日本航海士会より次のごとく電報があつた。「無事ご帰国おめでとうございます」。

 8月21日 (水) 晴
 気温は27〜8度にすぎないが、通風不良の船室内の蒸暑さは可成りきびしい。ここのところ裸族の横行にもやや情状酌量といったかたちである。夕刻の星測によれば偏西のカレントあってホームスピードー段と冴える。

 8月22日 (木) 晴
 晴天無風、台風の懸念もなくてまずは順調の帰路であったといえよう。水平線に立ちこめる濠気にも日本近しの実感一入。黒潮の影響で徐々に北東方へのカレントをうける。正午航程216浬。2210八丈島灯台を265度、24浬に初認して320度に変針した。速力9ノツトを上回る快調さで最終コースをひた走る。

 8月23日 (金) 晴
 折悪しくレーダーはトランス回路の故障で使用不能となったが、この附近に予想される強い偏東流を警戒し、方探・音測・ロラン・天測を動員して慎重なアプローチをつづける。0900頃左舷正横前濠気にかすむ伊豆大島を望見さらに野島崎附近を視野にとらえて船位を確認した。100日ぶりに接する故国の姿、洋上からではなんの変化も認められないさりげない表情がいささか物足りない。それ.でも正午過ぎ、海堡をかわる頃から行き交う船、見馴れた筈の工場の煙突や山の縁、昨日までとはうって変って汚れた水の色などなど、一つ一つの風物が静かなペ一スで長途の航海をなし終えようとする安堵感を誘ってくる。僚船大成丸のOKFに迎えられて、1430東京灯船沖検疫錨地に錨して一先ず心身の緊張をやわらげた。船内外の大掃除に拍車をかける。本日、船員局長から祝電がよせられた「航海の無事をよろこびその成果を祝す」。

 8月24日 (土) 晴
 検疫および植物検査終了。各部とも文字通り入港を目前にひかえて船務手仕舞や身廻整理に尊念する。

 8月25日 (日) 曇
 船室内は久々に内地の涼風をえて熟睡した。靄立ちこめる東京湾の朝景色に懐しさと親しさを覚える。1030より通関手続、沢山の土産品をひろげて再びサンフランシスコ、カフルイの想い出がよみがえる。午後身廻整理。1700より上甲板において演芸会をかねて会食を催す。実習生・乗組員ともども遠い潮路の想い出を噛みしめ、新しい出発に幸多かれと祝福を交わす。和気あふれて楽しい一夕であった。なお、会食に先立って本航海中の余暇が生んだ作品展示会をおこなったが、上位入賞を甲板部が独占した。

 8月26日 (月) 曇
 0800抜錨用意、遠藤水先人の襯導をえて静かに港内にむかう。帰投の喜びがなせるものか、見馴れた風景の一つ一つに格別の表情がよみとれる。1000晴海桟橋Gに繋留を終え、出迎えた人々と久潤の笑顔を交換して今次航海の幕を閉じた。

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