日本丸航海記
帆船実習報告の写真集@
太平洋を帆船で渡る!
KOBE〜SANFRANCISCO〜KAHULUI〜TOKYO
1963年(昭和38年)私は
練習船「日本丸」
で
太平洋
を渡りました。 この
「日本丸航海記」
は、その時の
日本丸
が作成した
公式報告
書
です。
「昭和38年度 遠洋航海報告 練習船日本丸」
となっています。 5月9日
神戸
を出港して
サンフランシスコ
およびハワイ諸島
マウイ島
カフルイ
に寄港し、8月26日
東京
港晴海桟橋に帰港するまでの毎日の記録です。 この小冊子には写真は1枚も添付されていま
せんので、私が自分で写した写真をここに掲載して、報告書への補足資料とします。 写真集@は
神戸
出航から
サンフランシスコ
入港ま
でです。公式の報告ですが航海の記述に直接影響しないと思われる部分は随所で 省略しています。また個人を特定出来る
氏名
も
職名
を
除き〇や△その他に置き換えてあります。
日本丸、いよいよ遠洋航海へ出航!
前夜来の小雨煙る神戸港・・・
見送りの両親・・・。
船内を案内してブリッジで記念撮影。
写真をクリックすると
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します。
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離岸後の登檣礼で
「行ってきます、ご機嫌よう」
と挨拶し・・・
第一航路
へ向かうべく東へ向首、エンジンが
「前進」
となって
5000マイルの航海のはじまりです。
写真中央奥に建設中の
「ポートタワー」
が見えます。
「ポートタワー」
はこの年の11月に完成します。
出港当日の両親・・・父56才、母49才でした。
登檣礼
のあとエンジン後進で東へ向かう。
「前進」開始直後・・中央は在りし日の
「ポートタワー」
。
岸壁を離れていよいよ「5000マイル」の壮途へ・・・
登檣礼
のあとは、全員が上甲板左舷に集まり、見送りの人々に別れを告げ・・・ 第一航路を抜けて、友ヶ島水道をめざして狭視界のなかを進みます。
船内では全員が左舷側に集まって見送りに答えていました。
甲板は前夜来の雨ですっかり濡れています。
今日は楽しい運動会!!180度子午線通過記念です
全員が童心にかえって無邪気にはしゃぎます
輪投げ・・・二人で競います。
運動会の定番・・・
綱引き
。
船上の
綱引き
は
ブロック
を利用して
同じ方向に引っ張ります。
それにしても、隣同士で同じ方向へ引っ張るとは・・・。
4本の手足で3個の
空カン
を操って進みます。
この当時は
リンボーダンス
が盛んでした。
びんぼーダンス
ではありません・・・念のため。
運動会とは言え、
航海当直
まで投げ出す訳ではありません。
風の具合いを見、
羅針盤
を睨んで
舵輪
を握る人たちが居ます。
もちろん、
船首
には前方を見張る
ルックアウト
も立っています。
羅針盤の前には
沢山の賞品
が並んでいるのが見えます。
帆走中の航海当直は、ブリッジではなく上甲板最後部です。
目隠しをして福笑いに挑戦。
これくらいに仕上がれば、上出来です。
続いて、缶釣り競争と進んでいきます。
揺れるデッキ上で缶釣り競争。
観客も記念撮影-1。
観客ー2。
航海当直中、ルックアウトです!
空模様の怪しいなか・・・前方の見張りです
航海当直中の私です。
いつ何時雨が来ても大丈夫です。ネット上にも2名います。
船首から後ろを振り返ると、船はこのように
風とうねり
で大きく揺れています。
デッキ上には沢山の
ロープ
が・・・。
太平洋のど真ん中、風が吹かないと帆船は・・・
まったく動く気配なし、アホウドリも傍まで寄ってくる。
水面を漂う帆立貝を目指して、アホウドリがやってきます。
船上からはそのアホウドリめがけて、釣り糸が投げ込まれます。
帆船は風が止まると手も足も出ません。ただ浮いているだけ・・・。
情けないこと、この上もありません。風が来るのを待つ・・・
ただひたすら待つだけです。そんな時、船側へやってくる
アホウドリは格好の慰めです。
なにかの余興です。右の人物は「海賊」の扮装か・・・。
ボンクでくつろぐ私・・・。。
日本丸、いよいよサンフランシスコへ!
この時は帆走ではなく、機走です・・・
ドレークス湾
で2日間かけて、化粧直し・・・
すべてのセールも畳んで、いよいよ
サンフランシスコ
へ
いやがうえにも胸が高鳴ります。
向こうに見えるのは、ゴールデンゲートブリッジ。
金門橋を背に記念撮影・・・。
湾内へ進入し、街を眺めながら、検疫錨地へ向かいます。
テレグラフヒルの白い塔がくっきりと見えていました。
アルカトラス島近くの錨地で検疫を受け、着桟は明日です。
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