各船別の航海記録へ

私が乗船勤務したすべての本船のリストです。船名を
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船 名
エベレスト丸 5万重量トン型スーパータンカー。三菱長崎造船製の 美形だった。    昭和39年2月〜8月乗船 写真
東和丸 1万トン型在来貨物船。のんびりと鉱石、材木などの輸送に従事。 川崎港で乗船のため開業したての東海道新幹線に乗った。 昭和39年10月〜昭和40年1月
ポートムーデイ クースベイ クチン コタバト
サンベルナルテ”ィノ海峡
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第二ブリヂストン丸 LPG専用船、新造2代目の3等航海士。
昭和40年2月〜12月乗船
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ぶるっくりん丸 ニューヨーク航路定期船。13000馬力の高速船で "ブルーリボン"を保持したこともある。均整のとれた 美しい船型を誇る。昭和41年3月〜11月乗船 写真
豊和丸 13,532重量トンの在来型貨物船で、主に中南米航路と ヨーロッパ航路に就航   昭和44年7月〜昭和45年8月 写真
ジャパン・ダリア 76,931重量トン型油槽船、シェル石油の下で三国間に 就航、1年間、日本に帰港しない航海は、精神的・ 肉体的に非常な負担となった。昭和45年10月〜昭和46年11月 写真
日豪丸 41,599重量トン石炭専用船で初めての一等航海士、乗船した日は1972年2月28日、日本中を揺るがす大 事件の日だった。昭和47年10月下船 写真
第二ブリヂストン丸 29,470重量トンLPG運搬船。-43度Cのプロパンが、沸騰しながら気化するさまは神秘的でさえあった。 昭和47年12月〜昭和48年12月乗船 写真
ジャパン・ライラック 100,000重量トン鉱油兼用船。鉱石・油の切替えには 神経をすり減らした。昭和49年4月〜12月乗船 写真
ジャパン・マーガレット 230,000重量トン油槽船。シンガポール海峡通過可能な最大船型、 ペルシャ湾で積切り時は口から胃袋が 飛び出すような極度の緊張の連続であった。 昭和50年4月〜昭和51年2月乗船 写真
ジャパン・ロブレ 15,000重量トン在来型貨物船。前の三船に比べれば
天国に居るような・・だが神戸ー香港ー韓国ー神戸
の短期間で、二度目の陸上勤務ということになって
しまった。昭和51年6〜7月乗船。52年4月退社
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LASINDA 50,000重量トン型油槽船。カリブ海やアフリカから
米国ヒューストンへ原油を供給した。船・機長、一航
一機士の4名以外はすべてフィリピンクルーだった。
航海の記録は震災で紛失した。昭和54年5月〜昭和55年5月 フランスボルドーにて下船。
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